大空を自由に飛べる学舎
関西初の航空工業高校として昭和14年に創立された大阪府立布施工科高校。
滑空班(グライダー部)は創立後間もなく発足しました。
戦時中は戦闘機などを操縦するパイロット候補の養成のための滑空訓練を行っていましたが、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の航空禁止令によって一般の工業高校となり、部は活動休止となりました。
その後、27年にグライダー部として復活。28年には、生駒山上空で9時間を超える滑空を達成するなど学生グライダー界でも一目置かれる存在で、一時は約30人の部員が八尾空港を拠点に活動しました。
空を飛ぶということ
空を飛ぶためには、頑強な身体、不屈の精神力、そして高度な知識・技術が求められました。
昭和14年創立の大阪府立航空工業学校では水泳を必修とし、毎夏堺市の浜寺海水浴場(当時)で鍛錬していたとの記録があります。このスピリッツは現在の布施工科における「実習前朝礼」時の極めて元気な声での挨拶等に受け継がれています。
また昭和15年から300機が製造・利用されていた「文部省Ⅰ型初級滑空機」ですが、平成6年にOB、生徒、教員により復元され、平成21年に経済産業省から「近代化産業遺産」の認定を受けました。単に形だけの復元ではなく、70kgの人が乗り時速50kmで飛ぶことができる本物で、時代を超えたテクノロジーの伝承が結実しています。
空を飛ぶ浪漫を、
受け継ぐ学校へ
私達は展望台など高い所から景色を眺めるのが大好きです。とりわけ飛行機から地上を見たときの感動は格別でさらに明け方、夕方は神秘的と言っても良いでしょう。ひょっとしたら神話にあるように、太古の神々が地上におりてきて、天空への帰還願望がそうさせているのかもしれません。それは映像での疑似体験でも同様です。
人は壮大なる浪漫を描き、その現実化のためにテクノロジーを開発し、その技術・技能を一生懸命身につけて、価値あるものを作り出しているのかもしれません。
ものづくりに携わる者として、知識・スキル習得の大前提として「夢を実現するために」「人が幸せになるために」という目的意識と「高い倫理観を有し」「誠実であること」が大切でありましょう。
布施工科はそのような「空を飛ぶ浪漫を、受け継ぐ学校」であり続けたいと思います。